− フリートーク Vol.5 −



2001/10/24

 次の仕事を取るべく久々の面接。私服で出社したらすぐに予め用意しておいたスーツに着替えて10時40分に取引先との待ち合わせ場所である大塚駅へ。そこから15分くらい歩いたところにある相手先の会社の担当者と面接をするのだが、結構細かい事を突っ込まれて返答に困ってしまった。面接終了後、一緒だった担当の人からは好感触っぽいような事を言われて秋葉の本社に帰社。


2001/10/19

 うちの会社は社員旅行なんてのとは無縁である。(派遣業同然の会社なので)殆どの人が客先での常駐勤務で休みも先方次第でケースバイケース。本社には全然来ない人もザラで、全ての社員が一堂に会する事など全くない。そんな訳で、経理から入社以来積み立てられてきた社員旅行費が全額現金で戻ってきた。その額96000円。これだけあれば北海道へも沖縄へも行けてしまうのだが、この金は間違いなく来月分の家賃や通信費、光熱費などの生活費に消えることだろう(泣)。

 ちなみにこの日は会社の親睦会で(来る人数はいつも半分くらい)、同期の一人がネット通販で買ったという「先行者Tシャツ」を披露して周囲の注目を浴びる。しかし当人は先行者を知らないそうで(つまり彼はTシャツのデザインだけで買ったという事)、私や先輩は侍魂やネットランナー、そしてロボットアニメオープニング風の先行者ムービー(これマジで力作! 「よくこれだけのものを作ったよ」とその力量と労力に感心した)を見せて彼に先行者を説明した。ネットではもうあまりにも有名なネタで私の中では風化していたのだが、今回の件で再燃してしまった(笑)。


2001/10/15

 月曜だが会社の方は忌引を取っていたのでまだ実家にいて、11時半に起床。母親が前に着ていた服を洗濯すると言うので帰りは夕方にする。それまでの間はゲームで過ごす。詳しくはゲーム行状記へ。

 午後4時20分頃、荷物をまとめて実家を出る。父親の運転する車で最寄り駅まで送ってもらい、名古屋駅では会社の人へのお土産に私の大好きな納屋橋饅頭を買ってから新幹線に乗り込む。で、家に着いたのは午後8時過ぎ。丸2日ぶりにネットにアクセスし、仲間内の掲示板を見たら友人が仕事でTGSに来ており、そこで私を目撃していた事が発覚! そこには「逃げないで声かけて下さいよ」と書いてあったが、私は全く気付かなかったぞ。直後のチャットではその友人がいたのでその件について話をしていた。


2001/10/14

 朝9時半頃起床。日曜のこの時間帯は私にとってはとんでもない早朝だ。喪服に着替えるなどの身支度をしてから11時前に葬儀会場である本家へ。門の周りにはたくさんの供花がズラリ。中に入って棺の中の祖父を拝んでから奥の部屋へ。そこでは用意された弁当を食べている何人かの親族がおり、我々一家は挨拶。参列者が出揃い、午後1時ごろに葬儀が始まる。読経は4人のお坊さんによる南無妙法蓮華経の大合唱。親族や一般の人も含めて80人近い参列者。どれをとっても豪勢な(?)葬式で、さすが一族の長だけのことはあると思った。焼香を経て、皆で棺に花を献花する段では私はそれに乗じて祖父の遺体に中指の甲で触れてみる。硬くて冷たかった…。人は死ぬとこうなるんだと改めて認識する。最後は私を含めた男の孫たちで棺を霊柩車に運び、午後2時過ぎに滞りなく葬儀は終わった。ちなみに遺体は名大医学部に献体するとの事。

 一旦実家に戻って普段着に着替えて、葬儀の後片付けの手伝いと、一族揃って食事をする事になっていたのでまた本家へ。そこではいろいろあったが、既に結婚した2人のいとこの旦那さんに初めて会ったり、また別のいとこが来週結婚する事を初めて知ったり(フィアンセも連れて来ていた)、葬式の事などすっかり忘れた明るい話で盛り上がった。先日の件を引き合いに出すまでもなく私を含めた周囲では恋愛ネタになると暗くなる一方なのに(-_-;)。


2001/10/13

 祖父の訃報を物ともせず(核爆)、予定通りTGSへ。そこでの話は「ゲーム行状記」に譲るので読みたい方は(いないか)そっちへどうぞ。

 家に戻って夕飯を食べ、喪服や着替えなどの荷物を揃えたら祖父の葬式へ出発。8時過ぎに家を出て、その日最終の「ひかり」に乗って愛知の実家に着いたのが11時過ぎ。親族のうち私だけ通夜に出なかったので一部の人にネチネチ言われる。そして兄貴からは今回にあたって持って来るよう頼んでおいた『DQZ』を貰う。これでやっとプレイできる(ちなみに前作のYも発売から1年以上経ってから始めた)。


2001/10/12

 夕方、父親から電話で祖父の訃報を聞く(何となく想像はついてはいたが)。本来ならすぐにでも実家に向かわなければならない。でも翌日の東京ゲームショウ(TGS)には行きたい。どうしよう…。そうだ! 葬式は14日との事なのでTGSには明日だけ行って、終わったら新幹線で実家へ行けばいいんだ。うん、そうしよう。そしてそれに乗じて兄貴からDQ7を貰えるよう連絡する。


2001/10/10

 この日の夜は大雨洪水警報が出ていて、会社帰りの電車は所々の路線で運休状態にあり、迂回した経路で帰宅する。

 家でメールチェックをしたら、1年前にあるイベント(コミケとかコス関係ではない)で知り合って以後何回かメールでやりとりしている女性からメールが来ていた。少し前に「また会って話とかしたい」と私が書いたメールに対するレスであった。友達として会ったり遊んだりするのは全然構わないとした上で

>>でももし異性として会うという事でしたら
>>申し訳ないんですけどご期待に添う事は出来ません。
(この先にはその人の好きな人のことについて綴ってあったがここでは触れない)

…ぶっちゃけた事書くと、私はだいぶ前から「もし次にこの人に会う事が出来たら告白しよう」と考えていた。それを見透かされたか、機先を制する形でフラれてしまった。

(T_T)


このメールを読み終えた後、一昨日の深夜NHKで放送された浜田省吾特番のビデオを見始める。その人は浜省のコピーバンドをやっており、話のネタにしようと録画しておいたのである。その中で流れた『君の名を呼ぶ』聴いて、ちょっと泣きそうになってしまった。このメールを読む前なら普通に聞き流していただろうが、歌詞が今の自分と見事に重なり余計感傷的になってしまったから。

…それでもこのメールの人とは友達でいたいと思っている。せっかく縁あって知り合う事が出来たのだから、そう簡単には手を切りたくはないし。


2001/10/08

 休みの日は大抵ヒッキー状態の私だが、この日は外出。まず床屋で髪を切り、新しい服を買ってから古本屋で立ち読みをして過ごし、最後はテキトーに入ったゲーセンでギタフリをするが、レバー部の入力がすこぶる悪く全然反応しない。おかげで2曲目で終わるという何とも腹が立つ結果だった。


2001/10/01

 この日から当面の間、秋葉の本社に通う事に。ウチの会社はよその会社から仕事を貰って稼いでる下請け会社で(この業界にそうゆう会社はたくさんある)、技術職のほとんどはそれぞれの客先へ出向している。だから普段本社にいるのは役員陣、営業、経理、そして技術職は持ち帰りで仕事をしている人間と、私のように手の空いた人間に分けられる(自社商品もないし社員全員にいつも仕事がある訳ではない)。で、仕事らしい仕事も無い私はどうしてるかと言うと、社内や自宅から持って来た技術書を読んでスキルアップに励んでいる…と。


2001/09/29

 近場の古本屋で恋緒みなとの『オレ通A to Z』を買ってみる。パソ通をモチーフにした青春恋愛ものだが、こうゆう通信ライフ、学校生活、恋愛を高校時代にしたかったよなぁと思いつつ(私の高校生活(つーか今でも)はもう灰色で…。あ、でも部活はパソコン部だったのでDTP室のような事はしたか。男ばっかのムサい部屋だったが)何度も繰り返し読んでしまった。こうゆうマンガを読むにつけ、上に書いたような事を思ってしまう私は不幸なのか、愚かなのか…。少なくともずっと彼女のいない私はこうゆうのへの依存度が高まっているのは確かだし(爆)。

 夜、初期不良交換のために出していた新品ディスプレイが届いたので接続し直し。そしてこっちにもフレッツ接続ツールのインストールを試みるも、アダプタが見つからないと言われて設定できない。現在私が使ってるPCは PC-9821Xa16/W16 という機種で、LANアダプタを標準装備している。今時のPCでは当たり前の仕様だが、発売当時(96年ごろ)としては珍しかった(もともとオフィス向けマシンで、個人レベルでLANを使う事はあまり考えられなかった時代だから)。PCを買い替える時この部分に「もしかしたら後々で使うかも知れない」と思って購入したのは大正解だった(ノートVAIOとのデータ交換にも使ってるし)。となれば今のようにLANで直接モデムを介してインターネットに接続するなんてのは考えられなかった訳で、LANを制御するドライバがそれに順応していないのが想像出来る。そこでVAIOでNECのサイトへアクセスしてLANアダプタ関連ドライバの最新版をDLしてアップデート(更新)したところ、今度はちゃんと設定できた。今度はこっちでも動画ファイルとかのDLで速度を計測したら平均で480〜500Kbpsくらい出た。


2001/09/28

 この日で半年間通ってた川崎の職場を引き払う(予算削減とかで私の契約が切られた)。来週から次の現場が決まるまで秋葉の本社で待機という半失業状態に。その間は実務手当てがなくなって減給されるのでただでさえ厳しい生活が一層厳しくなる事に(泣)。


2001/09/26

 いよいよフレッツADSLの開通日。家から電話局まで距離があるのでサービスマンを迎えての開通試験があり、それに立ち会うために午前中だけ会社を休む。試験は午前中を希望したが、サービスマンがやってきたのは昼12時過ぎ。渡されたモデムや回線を自分で設置したところ、LINKランプが正常に点灯して開通OK。家の電話も正常にかかる事も確認されて15分程度で無事試験は終了した。でもすぐに会社に行かなければならないので自宅でのADSL環境はおあずけ。そして会社でBIGLOBEのADSLオプションを設定し、帰宅後速度チェーーーック! 大きめのファイルをDLする事で計測してみたが、帰りが遅くテレホタイムだった事もあって出る時で400Kbps程度。希望の500Kbpsには及ばないものの、ダイヤルアップやISDNより遥かに早いので導入は正解だったと思っている。これからのブロードバンド(と言える速度か?)ライフが楽しみになる一方、私が自宅でこうゆう環境を手にしたら廃人になるのではという懸念もあるのだが、果たしてどうなるか(^_^;)。


2001/09/21

 定時になると速攻で家に戻り、押入れに眠るPC88用フロッピーディスクをカバンに入るだけ詰め込む。と言うのも、前の家からPC88用のソフトを持ち込んでおり、狭い今の家では実機を置く余裕はもはや無い。かといってせっかく集めたこれらのソフト類を簡単には捨てたくない。つーか私は「情報にしろ物にしろ整理の基本は捨てる事」が頭では分かってても、なかなか物が捨てられない(引っ越す直前まで10年以上前のファミ通とかをとっとくような)人間なので。そこで出てくるのが88の環境をWindows上で再現させる環境。つまり「エミュレータ」である。そのためには擬似フロッピーデータ「イメージファイル」を作る必要があり、自宅での作業はかなり困難だが、秋葉の本社には5インチ用フロッピードライブ搭載のマシンがある。先月の親睦会で数枚分テスト作成したら正常に動作したので本日の親睦会にかこつけて、一気にイメージファイルに変換してフロッピーを処分してしまおうと考えていた。段ボール箱いっぱいに詰め込まれた数百枚のフロッピーが1枚のMOに収まるのだからまさに究極のダウンサイジング。持って来たのは同人の音楽集が中心。でもマシンのトラブルなど作成作業がなかなか進まず結局終電を通り越し、久し振りの会社泊まりをする羽目に。


2001/09/20

 職場ではTROJ_NIMDA.Aの余波で社内ネットワークが麻痺状態になって、成果物の提出や報告もままららない。社内全域大騒ぎなので当然ウィルスバスターの最新版を入れて全ファイル検索をかける等の対策は講じたが。


2001/09/19

 職場で新種ウィルス「TROJ_NIMDA.A」の感染騒ぎでその対応に追われる。新種のウィルスは毎日のように出てくるが、「Webページにアクセスするだけで感染する」ってのは怖いなぁ。ホント、ウィルスもここまで進化したのかと驚かされる。

 家に帰るとフレッツADSL接続ツールのCD−ROMが届く。でもモニターが使えずデスクトップには入れられないので代替として使っているVAIOにインストールする。


2001/09/18

 一昨日買ったディスプレイが家に届く、前のディスプレイから取り付け直し、いざPCの電源ON。正常に画面が映り、前のよりもいい感じ。しかししばらくして突然画面が消えて、電源部分は正常に動作するが画面には何も映らなくなるという前のと全く同じ現象が起こった。これはいったいどうゆうことだ!? まぁ、初日だし箱や緩衝材はまだ捨ててないので初期不良交換が出来るのが不幸中の幸いか。


2001/09/17

 職場にて、みかか帝国からフレッツADSL申し込みの確認の電話がやっと来た。いろいろ話して来週に開通の見込みとなる。ただ、電話局が家からかなり離れているので(直線で3Km。引越しも考えたが経済的理由により却下)本当に開通できるかどうかは全く不透明。電話では近所で300Kbpsしか出てない例があると聞かされたが(それでもISDNよりは遥かにマシなのだが)、私としては500Kbpsは出て欲しいなと思っている。

 家に帰るも、ここ数日(というか一人暮らし始めてから何度となく)精神的な不安やストレスに苛まれている。そうゆう状況を解消するために私はよく適当に開いた本を朗読しているのだが、その中でもよく読み上げるのが「別冊宝島・おたくの本」にある「おたくに死す」と題された文章である。ここで取り上げられた故富沢雅彦氏の、とりまく状況や考えが自分と重なるというか共鳴する部分が散見されるのが大きな要因であろう。私は富沢氏の事はこの本でしか知らないが(ネットで調べてみた事もあるが、あまり参考にならなかった)、上に書いたような事もあり、何だか他人事とは思えなくなってくるのだ。


2001/09/16

 壊れたPCモニターを買い替えようと横浜のソフマップへ行く。選んだのは三菱の17インチ・フラット型のダイヤモンドトロン。値段はワランティや送料込みで3万円そこそこ。その後周りの量販店を見て回るが、発売3日目のゲームキューブが普通に売っている。PS2やゲームボーイアドバンスが発売直後の時期に品薄状態になったのとは対照的に感じる。やはりソフトのラインナップが弱いのが要因だけど。最初の勝負はソフトが充実し始めるクリスマス商戦だから長い目で見ればそれ程大した事ではないのかも。


2001/09/13

 会社帰りのコンビニで、例のテロを報じるギャロップの緊急増刊が出ていたので立ち読み。まだこの事件の概要をいまいち掴めていなかったが、こうして写真や記事を見て思ったのは「まさか映画のワンシーンみたいな事が現実に起こるとは」。ついでに、映画みたいとは思っても(これだけでも充分不謹慎なのだが)、「テレビゲームみたいだ」とは全く思わなかった。湾岸戦争の時はこれが本当の戦争なんだという認識で見てたものだけど、今回の件でまたしてもゲームが槍玉にあげられるかも知れないと思うとうんざりしてくるのだが。あ、でもネット上ではこれを題材にしたゲームが出てくるんだろうな。ネット世界のお約束で。


2001/09/12

 この日の朝、出勤直後に見る各ニュースサイトでアメリカ同時多発テロの報を(非常に遅い段階で)知る。


2001/09/09

 家でパソを使用中、突然画面が消え、電源ランプは正常だが画面には何も映らなくなってしまった。このモニターも買って4年半。保証期間はとっくに過ぎてるし、天寿を全うしたということか。修理に出すより新しく買い替えた方が得策だな。今なら17インチのもうちょっといいのが3万くらいで買えるだろうし。これからしばらくはラップトップVAIOを使う事になる。


2001/08/15

 前日さんざん歩いていて相当疲れているはずなのに起きたのは6時45分頃。前日風呂に入れなかったので旅館の人に湯沢温泉の公衆浴場を勧められて、荷物をまとめてチェックアウト。越後湯沢駅に着いたのは9時前で、次の列車まで実に3時間ある。まさに上越新幹線に乗れと言わんばかりのダイヤ。駅前の観光案内所で近場の公衆浴場をチェックし、しばらく歩くとロープウェイ乗り場の建物の中にある「こまくさの湯」へ。開始時刻の午前10時を待って中に、入浴料+タオルのレンタル料は500円。平日のこんな時刻に客は私一人だろうと思っていたら、他にも数人の入浴客がいた。体を洗ってから温泉に浸かる事およそ20分であがる。脱衣場に体重計があったので久し振りに計ってみたら、一人暮らしを始めた時よりも5〜6キロくらい体重が落ちていた。食事量が減ったから? それとも徒歩通勤で体が締まってきたから? ここ数日いろいろ歩いたので一時的なもの? 浴場を出てもまだ1時間半もあるが、それでもコンビニで昼食を買ったり雑誌を立ち読みしたりして何とか時間を潰し、11時57分発水上行きの上り列車に乗り込む。

長い長い清水トンネルを抜けた途端、電車の窓が曇り出した。内外の温度差がいかに大きかったかが伺える。ここから群馬県に入り12時25分、いよいよ今回の旅のクライマックス、土合駅に到着。とりあえず無人の改札口を通って外へ出て、その場に居合わせた人に頼んで駅舎をバックにした自分の写真を撮って貰う。他にも同様の写真を撮っている家族連れの姿もある。周囲を少し歩いてからまた駅の中へ。ここは「関東の名駅100選」に選ばれ、鉄っちゃんの間ではかなり有名なスポット。何で有名かって言うと、この駅の構造にある。上りホームは地上にあるが、下りホームは地中深い新清水トンネルの真ん中にある。その間には地上の連絡通路に加え、高低差70.7m・長さ338m・462段からなる階段が立ちはだかっており、通称「日本一のモグラ駅」と呼ばれている。連絡通路は人気が無くまるで廃墟のようで、入るのに少し勇気がいる。通路を抜けて階段を見ると果てしなく深くて暗く、吸い込まれそうな雰囲気をさえある。階段は5段ごとに踊り場がついていて、その脇は将来エスカレーターが設置できるように土砂が剥き出しになっているが、絶対に造られないだろう。何せこの駅は上下線とも1日5本しか列車が来ないのだから。もっとも、この階段あっての土合駅なのだが。200段を降りたあたりから体がひんやりと感じ始める。階段を降り切って下りホームを眺めると、照明は蛍光灯だけで、端まで歩くとほとんど暗闇でまさに現代日本のダンジョン。核シェルターにもできるようなスケール感さえある。周りには駅舎前と同様に家族連れの姿もある。駅舎と同様に階段をバックにした写真を撮って貰い(出来た写真を眺めると実にイヤな顔だ)、適当にうろついたところで地上へ戻りにさっき降りた階段を今度は登る。200段くらいの所で足に重みを感じ、息も乱れ始める。それでもほぼノンストップで462段を7分ほどかけて登りきった。さて時刻は1時39分…来た! 下り列車が来ると気流と温度差の関係で、階段下のホームからこの頂上付近に白い霧が吹き荒れるのだ。これもここ土合駅の見所である。これでここでの目的は果たした訳だが次の上り列車が来るのは3時33分。まだ裕に2時間ある。さてこれからしばらくどうするか。また外に出て適当に歩き、近くのドライブインで巨峰ソフトクリームを食べてたら、外は曇り空。雷が鳴り出して雨も降り始めたので慌てて駅舎に戻る。待合室には私と同じく上り列車を待つ人が10人くらいいて、外を見るとすっかり雷雨。掲示されている駅の案内や谷川岳の写真を眺めたりしてひたすら待ち、3時半近くになって、待合室から上りホームへと場所を変える。ところがしばらくして、大雨のために上り列車が不通になったという鉄道放送が流れ、結局水上までは代替のバスで移動する事になった。

すっかり雨は止み、水上からは高崎線で一気に上野へ向かい、そこから山手線(だったと思う)、東海道線を経て川崎駅を降りると、ちょうど多摩川で花火大会があって、そこでの花火はそれはそれは美麗で、まるでこの旅の終わりを祝福してくれているかのようで(んなわけねぇだろ!)、自宅に辿り着いたのは午後8時半を過た頃だった。さぁ、いろいろあって自分なりに充実した夏休みもこれで終わり、明日から厳しい現実に引き戻されるかと思うとゲンナリもした。


2001/08/14

 朝、弟に上田駅まで送ってもらい、またしなの鉄道で篠ノ井まで戻ってJRへ。長野駅まで行き、次の列車まで40分ほどあるのでちょっと外へ出てみる(乗り降り自由なのも18きっぷのいいところだ)。しばらく歩いてると、「HARD OFF」という中古のパソコンやオーディオ機器を売る店を見つける。「BOOK OFF」のみならずこんな店もあったとは知らなかった(^_^;)。本当はエムウェーブとかにも行きたかったのだが、時間が無いので断念。駅に戻り、11時27分発の列車で今度は信越本線で一路新潟へ。12時56分、直江津に着くが次に乗り継ぐ列車は14時26分発。そこでみどりの窓口に置いてある時刻表で本日のスケジュールを検討してから一度駅の外に出るが、近くに時間を潰せそうな場所が無かったので仕方なく駅の待合室で待ち、今度は東へと向かう。30分もすると、生で見るのは初めての日本海が。所々にある砂浜からは海水浴をする人がちらほらと見える中、鯨波駅の前にある鯨波海岸は沢山の海水浴客で賑わっていたのが印象深い。列車が長岡へ着き、ドアが閉まると今度は逆方向へと動き出す。この旅で3回目くらいのスイッチバックだ。信越本線を走っていた列車は今度は上越線を走り、堀ノ内あたりに入るとあたりは穂をつけ始めた田んぼがあたり一面に広がっているのが分かる。そして事前に予約しておいた、小出駅前の旅館で素泊まり。


2001/08/13

 実は15日まで夏休み第2弾。実に夏休みの多い会社だ(でもその分残業で補填しなければならず、結局しわ寄せで何のための休みか分からない)。この3日間でかねてから計画していた「青春18きっぷで行く甲信越一周の旅」を敢行。12時半に家を出て(遅)、東京からは中央本線でひたすら西へ。山梨に入ったあたりから一面に山と畑だらけの景色が広がる。勝沼ではブドウ畑、石和温泉あたりだと桃畑が続く具合だ。午後4時に甲府駅にて下車し、南口のメインストリートに向かったところにある、仲間内とのチャットで話題になってたほうとうの店「小作」にて「カボチャほうとう」を注文。具の野菜を食べるのにだいぶ手間取りつつも楽しく頂く。それにしても1回の食事に1100円の出費は普段は考えられんなぁ(^_^;)。次来た時は「焼豚ほうとう」にチャレンジするか。県庁を含めたメインストリートを少し散策したら今度は北口へ。うって変わってやや寂しげな感じ。そこにあったゲーセンでギタフリをしたのだが、肩にかける紐の長さが調節する器具がなくて非常にやりづらかった。で、5時30分の下り列車で更に西へ。茅野駅でだいぶ待たされから篠ノ井線に移って篠ノ井駅で本日のJRはここまで。そこからしなの鉄道で上田まで行って、迎えに来て貰った車で弟の下宿へ。そこで『ヴァンパイアセイヴァー』の対戦を2回ほどやったが共に負ける。でも前やった時はボコボコに叩きのめされてたが今回はそこそこ善戦できたのでまぁ納得はしている。それにしても弟のPS、何度も読み込みに失敗するなどすっかりガタがきており、これを機にPS2の購入を勧めてみたりもした。


2001/08/12

 今年の夏コミには最終日にだけ行った。前日も行こうと思ってたが、雨が降ってたので一気に行く気をなくしていたのだった。並びたくなかったので遅めに家を出て、会場のビッグサイトに着いたのは11時20分頃だったように思う。10代の頃は果敢に始発電車で行って4時間並びを当たり前にやってたのに。もう年…というよりもコミケに対するモチベーションが回を重ねるにつれて萎えてきているのが分かってきていた。サークルスペースも何冊かのコスプレ本を買ったら一目散にコスプレ広場に向かっていたくらいだし…。いつも最後は友人のスペースで閉幕を迎えるのだが今回はその友人が参加していないので4時を回る前に会場の外に出ていた。帰りのバスは見事な渋滞に巻き込まれ、浜松町駅につくのに2時間はかかった。


2001/08/05

 朝、友人邸を出ると更に西の神戸へ。中でも中華街の南京町ではマンゴージュースに大粒タピオカ入りココナッツミルクにフカヒレラーメン(カップ麺サイズ程度のラーメンに500円玉位の大きさのフカヒレが2個入ってた。これで350円。初めて食べる肝心のフカヒレは味こそなかったが、プリプリした特徴的な食感が割と良かった。やみつきにこそならないが、とても意義のある経験だったと思っている)と、中華ならではのモノを喰いまくっていた。で、南京町には夕方まで居ついて歩いて神戸港まで移動。ついに夜になって、帰りは新快速で新大阪まで行って、そこから最終の「のぞみ」で自宅へ。これにて一週間弱に渡る旅は終わった。


2001/08/04

 いよいよ実家からの出発日。午前中に駅まで送って貰ってから18きっぷを使って東海道本線を更に西へ。まずは京都。市内を散策してから京都駅ビルへ。長いエスカレーターを登って頂上エリアの空中庭園から京都の街並を一望してからビル内のジョイポリスへ。ギタフリをやろうと思ってたら無かったので仕方なくGGXを始めるが途中乱入され、相手はあれこれ迷ってソルを選択。最初「こりゃ終わったか」と思ってたが、相手が幸いして特に危なげなくストレート勝ち。格ゲーの対戦で勝ったのは本当に久しぶりだった。でも4人目あたりのポチョムキンがやたら強く感じてここで敗北。ジョイポリスを出て改めて駅ビルを一通り回ってみたが、何のことはないただの伊勢丹デパートで、観光で来るような所じゃなかったなと言うのが私の感想。駅に戻り、今度は大阪駅。3年ぶりにまんだらけ大阪店に寄ろうとしたが、午後8時を回っており閉店となっていた(;_;)。仕方が無いので今夜泊めてもらう事になっている市内の友人邸へ。そこでゲームボーイアドバンス(GBA)を初めて触って『マリオカートアドバンス』をプレイさせて貰う。電源を入れてみて「これはもはや携帯ゲーム機の画面じゃない」(^_^;)。何コースかやってみたが一位は一度も取れず。今度は持参したDQM2に差し替えてみるが、画面そのものは通常のGBカラーと何ら変わらず。でもGBAの液晶の方が幾分か見易かったようにも思った。更に今度は持参したGBポケットにマリオカードアドバンスのカートリッジを差し込めるか確かめたら見事に差し込めた。もちろん電源は入れず、すぐに引っこ抜いたが(さすがにそんなリスクは負えんよ(^_^;)。友人の制止もあったし)。


2001/08/03

 この日は電車で少し遠出。途中マックに寄ってバリューセットを買い、おまけのカードの袋を開けたらキャンペーン用PS2ソフト「ハッピーディスク」と交換できる「WINカード」が入ってた。閑話休題、今回の目的地は岐阜県各務原市にある「かかみがはら航空宇宙博物館」。入場料1000円を払って中に入ると様々な飛行機が展示されており、中には「鳥人間コンテスト」で飛んだ飛行機(の復元)なんかもあった。他にも宇宙シミュレーター(CGの視点に合わせて機体が揺れ動く、後楽園ジオポリスの「ハイパーイリュージョン」みたいなの)、ハンググライダーシミュレーター(グライダーの操作に合わせてCGの空を飛ぶ。ちなみ私は「未来都市」を選んだがビルに衝突しまくり。意外に難しかった)の他、「無重力体験コーナー」なるものも。宇宙飛行士の訓練なんかでもやる、XYZそれぞれに軸回転するリングの中心に人が入って回転するアレだ。何人か並んでたので順番を待つが、皆思うように回れなそう。いよいよ自分の番になり、係員のお姉さんに足と腰をベルトで固定されてからスタート。狙うはもちろん360度回転で、思いのたけ腕と足をそれぞれ逆方向に力を入れる。しかし、何とか逆さまになれるのがやっとで、不完全燃焼のまま持ち時間が無くなってしまった。平日なので来てるのは子供が中心だが、大人がやっても同じような調子で、360度回転はかなりの至難であるのが分かった。閉館時間が近づき、かなり暑い屋外でかなり待ってその日最終のバスに乗って帰路についた。


2001/08/02

 また自転車で今度はもう少し遠出。今でもあるもの、なくなってしまったもの、昔はなくて新たに出来ていたものなどが頭の中を交錯していく。その途中でよく行ってたゲーセン(+バッティングセンター)に立ち寄って、GGXとギタフリに興じたりもした。


2001/08/01

 借り物の電気自転車で10年ぶりに来たこの地を軽く回ることにする。ハンドルをこぐと普通の自転車よりも加速感があるのが分かり、少し楽が出来る。でもこの日は親と一族の本家へ行って親族への挨拶をする事になっているので早めに帰る。やはり10年ぶりの本家では叔母や、まだまだ元気な祖母に会う。少し内装の変わったこの家を回った後、祖父と対面…といってもすっかり寝たきりで明らかにボケが入ってる状態で、両親らが私を紹介しても全く認識できていないのが分かった。この土地に住んでる親族が交代で看護していると聞いてはいたが、こうして見るといかに大変なことだと考えさせられる。


2001/07/31

 寝たという実感のない車中泊の末、名古屋に到着。そこから名鉄に乗り換え、最寄駅に着くと前もって連絡して迎えに来て貰った父親の車に乗り込んで実家へ。この家は新築7ヶ月で(前に住んでた家は社宅だった)、私も来るのは初めてであった。既に行った兄弟から聞いてはいたが、やけに豪勢なシステムキッチン、部屋数、大きめの池がある庭など、これからの余生を過ごす老夫婦二人が住むには非常に広く、立派過ぎる(^_^;)。寝泊りにはまだ畳の匂いがハッキリ残っている和室の8畳間が用意されていた。


2001/07/30

 今週は丸々夏休み。昼間川崎へ行って新しい服とかを買ってきて、夜は冷蔵庫を空にする為にちょいと大食いする。夜11時過ぎにブレーカーを落として家を出て、まずは横浜駅へ。一旦改札口を出て、「青春18きっぷ」に31日分のスタンプを押してもらうのを待つ。周りには同じ目的の人たちが数十人いる。12時を待って再びホームに上がり、「ムーンライトながら」で初めての実家(と言っても自分の故郷じゃないのでそうゆう実感は無いのだが)へと向かう。




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